(無駄な?)意地
3月 26th, 2015私はまだガラケーを使い続けている。
今となっては「この際、ぶっ壊れるまで使いづづけてやる」
と思い始めてしまった。
実際のところスマホでSNSやゲームをするのなら、
自宅PCと3DSで十分な気がする。
しかし、今の機種を使い始めて4年以上経つが、
最近電池が2時間くらいで切れるようになってしまった。
そろそろ限界か?
yuki@大分本社
私はまだガラケーを使い続けている。
今となっては「この際、ぶっ壊れるまで使いづづけてやる」
と思い始めてしまった。
実際のところスマホでSNSやゲームをするのなら、
自宅PCと3DSで十分な気がする。
しかし、今の機種を使い始めて4年以上経つが、
最近電池が2時間くらいで切れるようになってしまった。
そろそろ限界か?
yuki@大分本社
kojohです。
自分は「仕事」というものが、自分から楽しみに行かないと、きつい、若しくは辛いものであるという風に考えております。
では、どうしたら仕事をきつくないものに、楽しいものに変えていけるのか・・・この部分について、少し自分で調べてみました。
仕事を楽しくする方法としてたくさんやり方がありましたが、自分が特に納得できた3つの方法を以下に書いておこうと思います。
①働く理由を「世の中へ貢献するため」、「他者への奉公を行うため」にする。
働く理由として、自分のメリットしか考えていないと、「給料を多く貰いたい、でも仕事では楽をしたい」という思考になり、他者への奉公がバカらしい、仕事が辛いと考え、苦しむことになるということです。なので、はなから「会社、世の中の役に立つため」というように、他者への奉公を目的とすると、気持ちと行動に矛盾が無くなり、仕事を楽しく行えやすくなるとのことです。
②仕事を得意にする。
お絵かきが得意であれば楽しく、苦手であれば辛く感じるのと一緒で、仕事を得意にすると、自身の仕事に誇りを感じるようになり、自然と楽しくなるということです。また、仕事を得意にすると、周りの同僚からも信頼、尊敬されますので、そのことも仕事を楽しく思える要因になるとのことです。
③「やらされている」感覚を無くす。
仕事を行う上で、いつも同じやり方で仕事をこなすのではなく、「今のやり方に改善点は無いのか」、「もっと効率的にできないのか」という風に考える習慣を付け、自分の考えを実行に移してみることで、「やらされている」感覚が無くなり、ストレスを無駄にためずにすむそうです。
以上の3つに関して、仕事を楽しくする上で重要であると感じましたので、今後これらのことを意識して働いてみようかと思います。
仕事を楽しくすることに関して調べ、一つの仕事を続けていくためには、仕事を楽しくすることがとても大事なことだと感じました。
しばです。
更新が遅くなり申し訳ありませんでした。
私は出向先に居る立場からか、いろいろな”書類”を見る機会が有ります。
書類を見て打ち合わせをする中で、ごく稀にですが三者三様に見解が異なる事が有ります。
一般的に「言葉のあや」と言ったりする物なのでしょうが、「霞が関文学」の様な気も・・・
「等」と言った含みを持たせる文字が入る事はよくある手法なんでしょうが、「句読点」の使い方は見ていて面白い物です。
同じ文字列でも句読点の位置が変わると捉えられ方が異なる文章になったりと、読み取る方からするとなんと厄介な文章に。。。
例)http://blogs.itmedia.co.jp/editech/2011/12/post-b4fc.html
書く人がソコを狙って書いているならまだしも、意図せず誤解を招く様な文書の作成は避けたい物です。
あまり詳しく書くと良い事が無さそうなので、今回はこの辺で。。。
F513です。
すっかりご無沙汰になっているSA会イベントの案の覚え書!!
・パークゴルフ (カボスタイムでやってた。別府にできた)
以上
kuraです。投稿が遅くなって本当に申し訳ない。
ここ一週間程、体調が悪く未だに調子が悪いです。
再起不能になる前に、3月中に検査に行こうと思っています。
思えば30代半ばあたりから体が動かなくなり、今や体制を崩すと自分の体重すら支えられない事すら、、、
元々不摂生な生活をしていたので、こういう事になるのは覚悟の上なんですが、思ったより早くきてしまっている気がします。
「まだまだ、そんな事にはならないだろう」という危機感の無さが生んだ結果なんでしょうね。
自虐ネタっぽくなってしまいましたが、、、他の事に置き換えても言える事ではないかとふと思いました。
これまで生きてきた経験上、「今、必要に迫られない(体制に影響ないと思っていた)からほっといた」で、結果的に悪い方向にいってしまったって事ありませんか?
私個人も含めてですが、自分の生活や、仕事に置き換え、危機感を持って
・やらなければならない事(使命、期待)
・やれる事、やれない事(得手、不得手)
・やりたい事(趣味、興味)
もう一度考えてみてはどうでしょうか。
そこで、どうしたらいいか思いつかなければ、「こんな事してみたいと思っているけど、どぉ?」とか周りの人に相談してみたりするのもいいと思います。
F513です。
Webアプリケーション開発にはよくJava言語が使われます。
Javaの開発で、各種ミドルウェアやフレームワークをどうするかいつも迷います。今回は、データベース関連について紹介します。
- Hibernate
データベースアクセスを直接高レベルなオブジェクト操作機能に置換することで、ドメインモデルを関係データベースにマッピングするフレームワーク。- MyBatis
XMLまたはアノテーションを用いてSQLをオブジェクトと紐付けるフレームワーク。
他のORMとは異なりDBとオブジェクトのマッピングではなく、SQL文とオブジェクトのマッピングを行うため、レガシーな環境や非正規化されたDBでも有用。- H2 Database
Javaプラットフォーム上で動き、組み込み、クライアント・サーバーモードでも動作する、高速・軽量なデータベース。- Flyway
複数人でのアプリケーション開発時のDBマイグレーション作業を素早く手軽に行うことができるDBマイグレーションフレームワーク。- Commons DbUtils
関係データベース(JDBC)へのアクセスを容易にするライブラリ。
Hibernateは使った事がありますが、各種設定ファイルの意義や、HQLの習得が必要であり、これまでSQLをがりがり書いてきた人にはある意味難しかったです。
そういった人には、 Commns DbUtils がよさそうです。これは、Apache Commonsプロジェクトの一つだし、軽いし、なんとなく使いやすそうです。なお、F513は使ったことありません。
では、また。
もうすぐバイクの季節がやって来るとワクワクしているabe-tです。
ここ最近、自分主体で物事を考えてしまうことで注意を受けます。
たとえばドキュメントを作成するときなどに、自分が理解できる程度のところまでしか記入しなかったり、
明確な理由がなく自分がそう思ったからとドキュメントのフォーマットを変えたりしてしまいました。
なぜ、自分主体ではいけないのか、
単純に他人が理解しにくいものができてしまうこと、ドキュメントにしてもソースにしても自分がやりたいように作っていたら
他の人が見て理解できるわけがありません。
誰が見てもわかるのかを常に意識しながら作成するべきです。
この「誰が見てもわかるのかを常に意識する」ことは「気が付く」ことにつながるのではないかと思います。
誰が見てもわかるのかを常に意識する、つまり他人のことを考えながら行動すると
「ここはこう書いていたほうがわかりやすい」
「ここはもっとこうしていたほうが理解しやすい」
など、さまざまなことに気が付ける人間になれると思います。
これは業務だけでなく日常生活においても、他の人のために色々なことを準備することができる
つまり「気が付く」人は「気が利く」人にもなるのというわけです。
なかなか難しいことではありますが、自分主体で考えず、他人のことを意識しながら考えることを実践して行きたいです。
F513です。
以前、crown氏が「プロフェッショナルの集まり」という投稿をされていましたが、先日、TVを見ていたら、プロフェッショナルとアマチュアで脳に違いはあるかを検証していました。TVをご覧になられた方もいるかと思います。
スポーツ選手とアナウンサーで違いを検証しており、なんと、プロフェッショナルの方々は脳を使っていないということが判明しました。プロフェッショナル方々はこんな時にはどのように対応すればよいかを繰り返し体験していることで、瞬間的にどうすればよいかを導き出せるようになっているようです(要は、パターンマッチングとか、直感力ですね)。なので、脳はあまり使う必要がないというか、別のことに使えているということです。それに対してアマチュアは何かあるごとにどうすればよいかを一生懸命考えているので、それだけで一杯一杯になっているそうです。
みなさんはどうでしょう?
脳 使っていますか?
直感的に動いていますか?
パターンマッチングができるようになる為には、何度も何度も繰り返し、反復する必要があるとも言っていました。
まあ、なんだかんだ言っても、脳の動きなんて量れるわけないので、だからなんだなんですけどね。
面白かったので、紹介してみました。
プロフェッショナルとは脳を使わない人である。
では、また。
とは言うものの、別に嫌われる事をしよう!ということではありません。
アルフレッド・アドラーが創設した心理学、「アドラー心理学」というのがあります。
ただ心理学とかの本は読むのが難しい。。。そう思っていましたが、これはとても読みやすかった本。
このパッケージが印象的でつい手にとったのですが、これは面白いです。
内容が対話形式で進むため、小説に近い感覚で読むことが出来ます。
世界はどこまでもシンプルであると説く哲学者と、その哲学に納得のいかない青年
との対談。テンポよく、青年の立場からアドラー心理学の幸福論に関する疑問に
答えてくれるような感覚でよむことが出来ます。
Nora@大分本社