「気がつく」ということ

私がこの業界に入ってから20年が過ぎましたが、当時は専門的な分野というのが
一般的だったと思いますが、昨今はPCが普及し、言語も多種多様で入手も容易
という環境下で、その気になれば比較的簡単に誰でもソフトを作る事はできる様に
なってきたと思います。
こんな事を思い出しました。

あるユーザーのところにインストール作業を行いに行った際に、一緒に行っていた
ベンダの方が、ちょっとした不便さを感じ、私にその場で修正する事ができるか
相談してきました。
その場で対応するには少し時間がかかるので、現状のままとして後日対応版を
リリースすることにさせてもらったのですが、現状をユーザーに説明した際にも
同じ事を指摘されました。

実は作っている最中に、自分でもなんとなく操作に面倒さを感じていた部分だったの
ですが、当時はどうやってシステムを標準化・汎用化するかを重点にしていたので、
そちらばかりに目がいき、ユーザー視点に立って作ってなかった事を思い知ら
されました。

PCが普及し、簡単にソフトが作れる世の中になっても、この点は変わらないと
思います。
いくら高価で機能が多くても、使ってもらえなければゴミ同然。逆にいくら安くて
機能が少なくても要件を満たして使ってもらえるものの方が評価が高い。
身近や世の中を見ると、そんなソフトありませんか?

「気がつく」かどうか、コンピュータの基礎知識なんて必要ないことろです。
私は、技術ばかりに目が行き、自己満足(エゴ)に走り、使う側の事を考えて
いなかったのです。
先に気がついて、提案できていればポイント高かったかもしれないのに
残念ですよね。

どうしても自分の考えに偏りがちになると思いますが、一歩引いて第三者的に色んな
角度から物事を見れるか、相手の立場で物を見れるか、これが気がつく事に繋がる
かどうかなんじゃないかと思います。

気づくかどうかは、人に言われる事を鵜呑みにして、そのままやっているだけでは
気づく訳がありません。また、気づくだけでは意味がありません。

そういえば昔、上司に言わた事を思い出しました。
遠慮はせんでいいけど、気は使え
当時は10代だったですし、当時は???でしたが(^^;
何が言いたいんだろうなぁ~と思える文章?だったものかもしれませんが
い~んです!
色んな事を想像して、感じて、考えてもらえれば。

2 Responses to “「気がつく」ということ”

  1. F513 Says:

    私は、「気は使うな(疲れるから)、気を配れ」って言われました ^^;

  2. もしゃ@東京支社 Says:

    「遠慮はするな、気を遣え!」と言ったのは、オレだね
    ずいぶん昔の話だと思うよ
    ネットも無い時代に、何かの本を読んで良い言葉と感じ、皆に言ってたなぁ

    「遠慮はしなくて良いから、配慮しろ!」とか、
    いろいろな形に変えて言われ続けてるね

    まぁ、言わんとしていることは同じだよ

    もしゃ@東京支社

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