「教えている」のか「教えられている」のか

はじめまして、taka84です。

どういったテーマで書いていこうか考えましたが、学生時代から講師をやっていたこと、社会人になってからも育成という点を重視してきたので、そういった話にしたいと思います。

・・・あくまでも、現時点では、ね。
ということで、初回は「教える」ことのお話を。

学生時代、担任の先生から「教師をやってわかったが、いつも生徒から色々と教わっている」という話を聞いて、
「ケッ!綺麗ごと言いやがって」と思っていました。

そんな自分が、塾講師をやってみると・・・

まぁ、生徒から色々教わるんですよね。
(慌てて、恩師に綺麗ごとと思ってましたが、ようやく意味が分かりました、と謝りにいった20歳の秋)

とはいえ、経験の無い人は、何を教わったの?と疑問に思うことでしょう。

具体的には・・・

  • 自分が知らないことに気づく
    他人に何かを説明しようという場になると、情報の整理を行う必要があります。
    この整理整頓の中で、今まで分かった気になって曖昧にしていた事柄に気づくことがあります。また、他人から質問をされて初めて「あれ?なんでそうなんだろう?」と思うことも。
  • 違う視点を知る
    自分とは違う視点から疑問を投げかけられたりすると、思わず考え込んでしまうことも多々あります。

ざっと、こんなところでしょうか。

「教える」というと、たいそうな人間なんだな、と思いがちですが、「教わる」ために今の自分の知識を整理して、出力してみる、と考えると、自分にとってのメリットも大きいんじゃないかな?と思ってます。

 

最初ですし、この辺で。

 

2 Responses to “「教えている」のか「教えられている」のか”

  1. F513 Says:

    >「教わる」ために今の自分の知識を整理して、出力してみる
    これが難しいんですよね。
     整理しようとする→うまく出来ない→出力しない→何も得られない
    ってループになる。特に若いスタッフは。
    コミュニケーション力がある人は、「整理できなくてもとりあえず出力する」ことができていると感じる。出力するからフィードバックがあり、うまく流れていく。

    では、また。

  2. taka84 Says:

    ヒエー、コメントを頂いていたのに、しばらく放置してしまっていました…

    出力する難しさを克服する手段は、結局のところ「慣れ(経験)」なのかな、と思っています。
    なので、現時点で出力することが苦手な人であっても、「経験する機会」と、「フィードバック」を提供していけば、徐々にでもコツを掴んでくれると思うんですよね。

    オジサン世代になってしまったので、若い世代が練習するための舞台を作っていきたいと思います。

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